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身の周りの景色に色をつける~竜馬がゆくより

福山雅治の大河ドラマ「龍馬伝」、ご覧になっていますか?

福山の龍馬、人によっては「どうも違う」という方もいらっしゃいますが、
個人的には、やさしさが伝わる龍馬でいいなぁと思っています。

「龍馬伝」に合わせて、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読み直していますが、
やっぱり、面白いですねぇ。

改めて読んでみて、新しい発見がたくさんあります。


私の好きな一節をご紹介します。


竜馬が剣術修行で土佐から江戸に向かう道中。

旅の途中で知り合った盗人の藤兵衛と富士山を眺めるシーン。

竜馬にとっては初めての富士山。

以下、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」第1巻から


藤兵衛はつまらなそうにまわりを見た。二十年来、この海道を何度も往来している寝待ノ藤兵衛にとって、
この眺望は珍しくもなんともない。

「気のない顔だなあ」

竜馬は、なおも風の中で目をほそめている。彼の若い心には、潮見坂の海と山と天が、
自分の限りない前途を祝福してくれているように思えるのである。
(富士は木花咲耶姫(こんはなさくやひめ)の化身だというが、江戸へゆくおれのために
一段と粧いをこらして待っていてくれたにちがいない)

「藤兵衛、一向に驚かぬな」

「見なれておりますんで」

「若いころはじめてみたときはおどろいたろう。それともあまり驚かなんだか」

「へい」

藤兵衛は、にが笑いしている。

「だからお前は盗賊になったんだ。血の気の熱いころにこの風景をみて感じぬ人間は、
どれほど才があっても、ろくなやすにはなるまい。そこが真人間と泥棒のちがいだなぁ」

「おっしゃいますねぇ。それなら旦那は、この眺望をみて、何をお思いになりました」

「日本一の男になりたいと思った」

「旦那」
と藤兵衛はむくれて、
「それは気のせいでございますよ」

「あたりまえだ。正気で思うものか。坂をおりればすっかり忘れているにちがいないが、
しかし一瞬でもこの絶景をみて心のうちがわくわくする人間と、そうでない人間はちがう」

以上


我々の周りの起こるできごと、それをどう解釈するか。

それによって、周りに起こる出来事の意味は変わってきます。

どうせ解釈するなら、自分の都合のいいように、解釈してしまえばいいですね、竜馬のように。


ちなみに、司馬遼太郎の小説では、龍馬ではなく、竜馬となっているのはなぜかご存知ですか?


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