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家康に学ぶ、「天才じゃないからこそできる思考法」

昨日、懇意にしている社長と久しぶりに食事をする機会がありました。

よく話をされる社長なんで、こちらとしても聞いていて非常に勉強になることが多いです。

その中で、つい先日読んだ司馬遼太郎の「関ヶ原」に出てくる一節を彷彿とさせる話がありました。

こんなことを話されていました。

「今日、会議が合ったんだけど、私の場合、まず社員に話をさせるようにしている。
まぁ、私はアホだからさぁ、自分で意見をどんどん言うより、
社員が話しているのを聞いて、考えたほうがうまくいくんだよね~」


「おぉ!社長、それ、ついこの前読んだ「関ヶ原」での徳川家康の話にぴったりですよぉ~。

家康が、会津の上杉景勝と直江兼続を倒すという名目で軍を上げるときの話なんですけど・・・」


以下は、司馬遼太郎の本を引用します。(「関ヶ原」中巻)

 家康は、すぐ内々の軍議を奥の一室でひらいた。
 内々、といえばいつもの顔ぶれであった。正信老人のほかに、井伊直政、本多忠勝、平岩親吉。
といった連中である。

「攻め口と、部署をきめよ」

と家康はかられに言い、自分は脇息(きょうそく)をひきよせ、体をなかば横たえた。

「わしに遠慮をするな。わしはここでそのほうどもの論議をきいている」
家康は、目をつぶった。家康はもともと天才的な冴えをもった男ではない。自分の独断を信ずるより、
一同の賢愚さまざまの意見をききながら自分の意見をまとめてゆくという思考法をとってきた男だ。

幕僚たちは家康のそういう思考法を知りぬいているから、互いに大いに論じはじめた。

こんな光景は、しごく家康的といっていいい。かれよりもさきに天下をとった信長や秀吉の場合にはあまりなかった。

幕僚たちは、一枚の絵図面を中心に討議した。会津上杉領の地図である。
山河と城々が、そこに彩色されて描かれている。

やがて討議が尽きるころになると、家康はやおら体をおこした。

家康の決断と、その表明がはじめるのである。そうと察した祐筆が、すばやく筆をとりあげた。

家康は、しゃべりはじめた。祐筆が、流れるようにそれを筆録してゆく。

喋りおわると家康は、
「どうだ、異論があるか」
と、さらに幕僚にきく。幕僚たちは家康の意見を基礎にもう一度論じ、最後に家康が結論をくだす。それでおわる。
合議主義、というよりもこれが家康の思考法なのであった。


以上


決して、食事を一緒にした社長が天才でないとは言いませんが、

こういう経営会議を行える社長もいいのではないかと思います。

ポイントは、意見は聞くけど、最終的に意思決定をするのはやはりトップって言うことですね。


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