議論で相手を打ち負かして得られるものは・・・
私、今でこそ議論の場などで、相手の話をしっかりと受け止めて、
それなりに聞けるようになったと思っているんですが、
以前(20代のころ)は、そうではありませんでした。
自分と反対の意見に対しては、とことん向かっていくというか、
とにかく説得しよう、打ち負かそうとして、
議論をしていたところがあります。
自分の意見が正しい、あなたは間違っている、って。
いやな奴でした。
前回、前々回のブログ記事で、
意見がぶつかり合ったときに、どう対処するか、
という話をお伝えしました。
→「なぜ、俺の言うことが分からない!(前編)」
→「なぜ、俺の言うことが分からない!(後編)」
議事進行役が、対立するそれぞれの意見がどのような視点で
発想されているのかを見抜いて、
まずどちらの視点で議論するのかを促そう、ということでした。
が、考えが対立した時のテクニックではなく、
マインド面で覚えておくといいことがあります。
司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」から2つ引用して、
お伝えします。
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司馬遼太郎「竜馬がゆく」第4巻より
清河八郎が暗殺された直後、
竜馬が、そのことを新選組の藤堂平助から聞くシーンの一節。
「清河は、卓抜すぎるほどの批評家で、
同志の無能を憎み、相手の慎重を怯懦(きょうだ)とし、
しかもそれを攻撃する論理、表現はアイクチのようにするどく、
相手が参ったといってもやめず、
つねにトドメを刺すところまで言及した。
のこるのは、恨みだけである。
よほど大事の瀬戸ぎわでないかぎり、
座興の議論などに勝っても仕様がないものだと
竜馬はおもっている。
相手は決して負けたとはおもわず、名誉を奪われたとおもう。
いつか別のかたちで復讐するだろう。」
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もう一つ。同じく「竜馬がゆく」第8巻より
大政奉還について幕臣の永井尚志と話をするシーンからの一節。
「すでに議論は煮えつまった。
あとは結論か、最後の言葉があるのみである。
この場合、おなじことを中岡慎太郎がいえば、目を瞋(いか)らせ、
『永井殿、足下は日本をつぶして徳川家だけが生き残ろうというご魂胆か』
と、舌鋒するどく切りこんだであろう。
中岡は当代もっともすぐれた論客の一人だが、
その議論はあまりにも堅牢で
しかも鋭利すぎ、論敵に致命傷を与えかねない。
が、竜馬は、議論の勝ち負けということを
さほど意に介していないたちであるようだった。
むしろ議論に勝つということは相手から名誉を奪い、
恨みを残し、実際面で逆効果になることが
しばしばあることを、この現実主義者は知っている。」
以上
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仕事上でも、プライベートでも、
相手を打ち負かすような議論をしても意味がないってことですね。
たとえ、相手が間違っていたとしても。