コラム - 人材育成のルール

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人材育成のルール

人の精神的成長とは・・・

安倍元首相が、 7月8日(金) 奈良県での

参院選応援演説中に銃弾に撃たれ、亡くなられました。



「安部元首相が襲われた」というニュースを

スマホの速報で最初に見たときは、

「刃物で襲われたのかな」、

「まぁ、取り押さえられて、未遂に終わったのだろう」

ぐらいに思っていました。



が、しばらくして入ったニュースは、

「銃弾に撃たれて、心肺停止」という内容で、

「えっ、本当に?」と絶句してました。



元首相が銃撃される、しかも遊説中に、

で、命を落とすぐらいの重傷を負っている・・・



そして、次に飛び込んできたのが、

「安倍元首相死亡」のニュース。



色々な意味で衝撃でした。



今回のメルマガでは、

この事件から「人の精神的成長」について

少し考えてみたいと思います。







人の精神的成長とは何か?



精神的に成熟する、

大人になるとはどういうことか?





あくまでも私の見解ですが、



「他責(人のせい)にしなくなること」

だと思っています。



人間として成長していない人、

精神的に未熟な人って、人のせいにしがちです。



幼児をイメージしてみてください。



うちの子もそうだったんですが、

幼稚園の頃、手をつないで歩いてると、

こてッと転ぶわけです。



すると、怒るんです。



「パパ、どうして、ここで転ぶって

教えてくれなかったのぉ!?」

と。



こんな感じで幼児って人のせいにするんです。

(うちの子だけ?)





安倍元首相銃撃事件の

容疑者である山上徹也氏・・・



精神的に未熟だったと言えるのではないでしょうか?



「自分の境遇を人のせい」にして、

他者を憎悪していたわけですから。





精神的に未熟であるだけならいいんですが、

だいたい「他責にする人」は、

周りに対して悪い影響を及ぼします。



なぜなら、他責は、恨みつらみに繋がるからです。





ですから、会社組織に目を向けると、

他責が横行している組織は、

だいたいいい成果を出せていません。



恨みつらみからは前向きな発想や行動は生まれません。



組織内で以下のような他責の発言があったら、

要注意です。



「私はちゃんとやった。

でも、技術部の○○さんがタイムリーに図面を

上げてくれなかったから、失注につながった」



「上司がしっかりしてくれないから、

何も決まらない」



「社員の能力が低いから、

うちの会社の成績が上がらない」



「私ができないのは、先輩が教えてくれないから」



等々・・・





ここまで露骨ではなくても、



「コロナで訪問できないから売上が上がらない」



「半導体が入らないからなんともならない」



等々



これも他責。人のせいではないですが、

うまくいかない理由を周りの環境のせいにしています。





偉そうに言ってますが、私自身、

精神的に未熟だと思う時が多々あります。



つい人のせいにしてしまう時がある。



でも、そんなときは

「いけない、いけない、人のせいにしてはダメ。

自分自身がどうしていたらよかったを考えなきゃ」って

戒めてはいます。



でも、心のどこかで人のせいにしているような気もして

落ち込んだりするわけです・・・。





では、組織において他責にする風土を

生まないためにどうしたらいいのか?









まずは組織のリーダーが率先して、

自責の言葉を口にすることだと思っています。



例えば、問題解決をしていて、

その要因(なぜ?)を考えるとき・・・



「なぜ、このような問題が起こっているのか?」



「なぜなら、景気が悪いから」

ではなく、

「なぜなら、我々が、景気の悪さに対応できる策を

 考えきれていないから」



「なぜなら、お客さんが悪いから」

ではなく、

「なぜなら、我々が、お客様を納得させられていないから」



「なぜなら、競合が強すぎるから」

ではなく、

「なぜなら、私たちが、競合に勝てる方法を

 検討しきれていないから」





「なぜなら、経営層の方針が不明確だから」

ではなく、

「なぜなら、経営層が方針を明確にできるだけの情報を、

 我々が提供していないから」



「なぜなら、部下が悪いから」

ではなく、

「なぜなら、私が部下の能力を引き出していないから」



こんな風に無理やりにでも

他責から自責のフレーズに転換して、

思考するようにする。



組織においては、常にこうした「自責」で物事を

捉える癖を付けることが大事だろうと思うのです。



こう考えると、中日ドラゴンズの立浪監督が

あまりに打てない野手陣に対して発した

7月20日の以下のコメントは気になりますね。



「何となしに打席に立っている」



こうではなく、組織のリーダーとしては、

「何となしに打席に立たせてしまっている」、

こう考えるべきでしょうね。





他責にしている方が人は楽なんです。

自尊心が傷つきませんから。



「自分は悪くない、周りの人が悪い、

周りの環境が悪い」と言っていれば、

自分は傷つきません。



だからこそ、精神的成長には、

他責ではなく、自責で考えられる精神性が

求められるのです。



他責ではなく、自責で考えられるようになるのが、

人としての精神的な成長。





ではあるとは思うのですが・・・



山上容疑者の過去の経験を知ると、

少し同情してしまうのも正直あります。





山上容疑者の恨みの対象は、

母親が入会した世界平和統一家庭連合(旧統一教会)

でした。



安倍元首相と旧統一教会との関係を疑い、

今回の事件を起こしたようです。



山上容疑者の母親が統一教会にのめり込んで、

熱心な信者になってしまったことから、



父親はそれを苦にして自殺・・・



そして、母親は家を空けることが多くなり、

幼少期の山上容疑者は、ネグレクト(放置)状態に・・・



ネグレクトは、幼児虐待の一つ。



幼少期の山上容疑者の心には

大きな傷が残ったのだと思います。



更に、母親は祖父から相続した土地を売り払い、

自分が引き継いだ祖父の会社も破産させてしまう・・・



山上容疑者自身、自殺未遂事件を起こし、

今から7年前には兄が病を苦にして自殺・・・



これだけの経験をして、なお将来に希望を持て、

そのためにも他責にするな、自責で考えろ、

と軽々しく言えるものかどうか・・・



恐らく幼児期に受けたネグレクトという虐待が

山上容疑者の精神的成長を阻んだのではないかと思います。



もちろん、だからと言って

今回の暴挙が許されるわけではありません。



山上容疑者を擁護する気も毛頭ありません。



今回の銃撃事件を参考にすることがあるとしたら、

何事も人のせい(他責)にしていては、

いい結果は出ない、周りにも悪影響を与えるだけ、

他責にせず、自責で思考する癖を付けよう、

ってことですね。



自責の風土を醸成できるように

務めていきたいものです。



追伸

今回の安倍元首相の事件で、

他に死傷者が誰もいなかったのは、

不幸中の幸いでした。



あれだけ人がいて、流れ弾にも当たった人がいない、

というのは奇跡のような気がします。


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