范増の生き方~過去には興味なく・・・(項羽と劉邦から)
司馬遼太郎の「項羽と劉邦」。
その上巻にでてくる私の好きな一節をご紹介します。
范増という「項梁・項羽」の軍師として仕えた老人に関する一節。
「項羽と劉邦(上巻)」より
「范増という。
歳からいえば、老翁といっていい。が、仔山羊のように澄んだ目と小さな顔、細い手足を持ち、素早く歩き、
物に感じてはあらわに驚き、あるいは怒り、ときに滑稽を感ずると笑いがとまらないというあたり、
少年のようでもある。
かつての楚の時代、他郷に出て小役人をしていたともいわれ、また楚の貴族の食客をしていたともいわれるが、
少年期がなおもつづいているような范増自身、自分の過去に何の興味もないらしく、語ったことがない。
かたくななところがあるが、歳のせいではない。
「節儀のせいだ」
と范増はいつもいう。
節儀とは亡楚への義で、
「范増とはなにか、楚の遺民である」
と自分を規定している。
「范増の志とはなにか」
楚がふたたびおこるのをこの目で見たいということだ、と范増はいう。
その心根の象徴のようにして、この老人はいつも楚人冠(そじんかん)をかぶっていた。」
以上
好きな理由は、なによりもこれです。
①「自分の過去に何の興味もない」
ってこと。
なんか歳を取ると自分の過去のことばかり話したがったりするのではないかと思うのです。
こんな范増のような老人になりたいものです。
その他
②自分自身が何者かを規定している。
③歳をとっても志を持ち続けている。
素敵ですよね、こんな生き方ができたら。
それと、
④楚人冠
これは、自分自身の規定と目標・目的を忘れないようにするための手法として
見習うべきことですね。