使命を感じるとは・・・
昨日は、弊社が主催しているチームビルディング研究会の第7回の会合がありました。
5社の経営者、管理者の方々に集まっていただき、
チーム力を高めるためには、どう考え、どうしたらいいのか、
意見交換をしました。
その中で、出てきたのが、「使命感」という言葉。
「使命感を持って、仕事をする!」「うちの会社の使命(ミッション)は、○○だ!」
など、使命という言葉は、以前よりも頻繁に使われるようになった気がします。
では、この「使命感」とは何でしょうか?
私は、こう考えています。
(現時点でのことであって、今後、考えが変わる可能性はありますが・・・)
「天が、このことをやらせるために、自分を地上に使わしめた。
天が、これをやらせると任命したのは、自分だけであって、他の人には決してできない。
だから、やりたいとか、やりたくないとか、自分の意志は関係なく、
やらざるを得ない。」
と感じてしまう。
少々大げさな言い方に感じられるかもしれませんが、
使命を感じるとは、こんなことなのではないかと思うのです。
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」第6巻にこんなシーンが出てきます。
薩摩での新婚旅行を終え、長州に向かう船上での
新妻おりょうとの会話。
「長崎で、家をもちたい」
と、おりょうはいった。小さな借家を借りるほどの金は竜馬にはあるだろう、とおりょうはいった。
「もっと、楽しみたいんです。だって、夫婦ってこんなものじゃないでしょう?」
「家ぐらい、持ってもよいな」
言いながら、竜馬は悲しかった。天下を住まいとし三界に家をもたず、というのが坂本竜馬の信条だったではないか。
「借りてくれますか」
「借りるとも。なあに、家賃ぐらいわずかなものだし、長崎では市中きっての富商小曾根英四郎と懇意だから、
上陸したその日に家ぐらいはみつけてくれるだろう」
「月琴の先生も見つけてくれる?」
「おれがか」
竜馬は内心うんざりした。やることが山ほどあるかれにとって、おりょうのために月琴の先生を見つける奔走まで
やらされてはたまらない。が、すぐ陽気な気分になり、
「見つけてやるとも」
といった。
「しかしおりょう、おれはしょっちゅう、その家に居るわけにはいかないぜ」
「なぜ」
「なぜって、お前」
「夫婦じゃありませんか」
「そりゃあわかっているがな。お前の亭主は一種人間でない男かもしれないぜ」
「人間でない?」
「うらァ、天がおれを、この地上の紛糾をおさめるために降した―と自分をそのように思いはじめている。
おれがいなければ日本が潰れらァ」
「思いあがり」
「だな。しかしそうとでも思いあがって居ねば、こうは飛びまわれんわい。勝先生も
西郷も桂もそう思っているようだ。女とはちがって、そこが男の滑稽なところだが」
以上
まさに「使命感」を短い文章で表している名文だと思います。